プロジェクトの詳細
研究概要
イタリア戦役以来、祭礼にも新たな異教的主題が登場し、フランソワ1世の到来とともに、祭礼の空間は〈古代風の〉建築的舞台装置に覆われるようになるが、入市式は依然として、伝統的な行程を辿り、聖堂における〈テ・デウム〉によって完結し、さらには中世以来の病を癒す王の奇蹟の力を開示する儀式さえ行われていたのであった。人市式における王と王権称揚のための舞台が、フォンテーヌブロ-派の芸術にも深く浸透していたことは、王の神格化で終わる「フランソワ1世のギャラリー」のプログラムや、凱旋門形式で建立されているルイ12世、フランソワ1世、アンリ2世の墓廟に顕著に反映されている。宗教戦争の時代の宮廷祭礼を司ったのは、カトリーヌ・ド・メディシスであったが、アントワーヌ・カロンの「アウグストゥス帝とティブルのシビュラ」(v.1580)は、王国の聖なる系譜とともに、王によって実現されるはずの、戦争の脅威が消え去り統一された未来の王国が予表され、ヴァロワ朝末期の祭礼においてなお政治的聖史劇が上演されていたことを証言している。
ステータス | 終了 |
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有効開始/終了日 | 1992/01/01 → 1993/12/31 |
資金調達
- Japan Society for the Promotion of Science: ¥1,200,000
キーワード
- フォンテーヌブロ-派
- 祭礼
- 入市式
- カトリーヌ・ド・メディシス
- アントワーヌ・カロン
- ヴァロワ朝
- フォンテーヌブロー派
- 人市式
- 宗教戦争
- エンブレム
- タイポロジー
- The School of Fontainebleau
- fete
- Royal Entry
- Catherine de' Medici
- Antoine Caron
- the House of Valois